夢
夢を見た。なかなか壮大な夢だったが規模がデカすぎて前半は忘れた。
実家で何かしていたら、勝手口をノックされた。こっちから人が来るなんて珍しい(おかしい)なぁと思いつつ近親者であろうと「はぁい」と気のない返事をして開けた。しかし、そこに立っていたのは、濃い髭を生やした巨体の大男だった。例えるならポケモンシリーズのやまおとこか。目元が妙にぎらついてかっぴらいていたのでそこだけはよく覚えている。
唖然としていると、
「.......あの、ゴム手袋はいりませんか?」
と少し急いだ声で話し出した。ゴム手袋もクソも、こいつは誰だ。というか裏口にセールスしに来るって相当ヤバいやつでは、てかセールスではなく強盗的なあれでは。考えが周り出した頃に私は
「いいです!」
とだけいい閉めようとした。すると大男は突然饒舌に喋りだして
「黄色いつぶつぶが付いてるんですよォ、ほらこれ、軍手みたいな感じなんですよォ」
と必死にドアを閉められまいとこじ開けてくる。
ヤバいやつだった。ややそのやり取りを繰り返し、蹴り飛ばしたりあまり上品ではないやり方でどうにかドアをしめ、鍵をして閉めたドアに
「いらねーよ、二度と来んな!!」
と吐き捨てた。
場面はここで移り変わる。
知らない場所、どこかショッピングモールだろうか。短髪で美人な感じの女の子、アイマスの速水奏みたいな子で実際に奏ちゃんと呼んでいた気がする。その子と2人でいた。私も彼女も女子高生であった。ただ性格は抜けた所がありときおり突拍子もないことをする子だった。車に乗ろうと言われ、私が運転席に座ると違うと言いたげな顔をし、
「運転したい」
と言った。運転したいって.......できんのか?女子高生だぞ?と思ったが代わった。が凄いやんちゃな運転なのだ。もう手すりとか持ってないと危ないレベルで揺れるし、走ってる所も崩れ掛けの板の橋とか。トムとジェリーのように崩れている所を走り抜けたのだ。
1度家族にも合わせた。といっても実家ではなかった。正確にいうと家族が実家のように過ごしている場所は実家の間取りではなかった。その後も少しスリルのある日常をすごしていたが、ある時連絡が入る。
「弟さんが亡くなられました」
とてもショックだった。なんで死んだんだろう、自分でもビックリするくらいショックで悲しくて喪失感が凄くて、もう何も出来なかった。何していても弟が死んだ事が呼び起こされて何していても泣き出してしまう。自分にとってこんなに大事な存在だったのかと驚く程に泣いて暮らしていた。女子高生だったので学校にも通っていたが、友達にもそんな事は言えなかった。というかいちいち泣き出して面倒な奴と思われてるだろうと思って、これ以上嫌われたくないと話せなかった。
ここでふと気づいた。私の同級生には奏ちゃんと言う子は居ないはず。なんであの"奏ちゃん"は当たり前のようにここに溶け込んで学校生活を送っているのだろうか。
猜疑心を抱え、しかし聞くことも出来ず日々は流れていく。
卒業式になった。式は終わった。記憶が無いのだ。夢の中でもスキップされている。記憶があるのは写真を撮ろうという流れになってからだ。
みんなで集まって写真を撮ろうとなり、クラスでまとまった。誰かカメラない~?というと持ってない人が多く、1人がスマホを出した。そのカメラで撮るか~という流れになったが私は、自分のiPhone11ならめっちゃいい画質で撮れると思いポケットを探る。ない。教室に置いてきたようだ。先生に取ってきて良いか聞くと、
「うーん.......一応校則的にはね.......、でも、ここで撮る事が全てじゃないからさ、今はね、うーん.......」
と言葉を濁したが、要はダメだという事なんだろうと理解した私は「わかりました」とだけいいクラスの輪に戻った。この時も何故か弟を思い出して泣きかけていたから視界がぼやけている。
そして今思い返すとこの教師は私が高校の時の先生ではなかった。こんな若い先生は私のクラスを受け持ったことがなかったからだ。
見覚えのある顔。この人は、仲村⚫悟だ。
しかしその時の私はそんな事どうでもよかったのだ。教室に行ったら写真を撮ろう、そう思ってその場を後にした。
ここで切り替わり、実家。1階のリビング窓辺で私はゆっくりしていた。隣室のダイニングでは従姉妹のりーちゃんともう1人知らない女の子がなんかの作業をしていた。窓をノックされ、「はぁい」とやる気のない返事をして確認もせず窓を開けたらそこに居たのは、あの大男だった。やばいと思い開けた窓を閉めた。今度は1回で閉めれたが、右に移動されもう1枚の窓を開けられてしまった。自分のいる窓を抑えつつ足で窓の縁を蹴り締めようとする。今度手が差し込まれてしまい閉められない。怪我すれば出てくかもしれないと手があってもガンガン蹴って手を挟みまくったが、大男は
「痛い、痛いなぁ。酷いねぇそんなことしないでよ。大丈夫だよ僕は怖くないよ。」
と早口に言いながら着実に掌、腕、左肩、上半身と部屋に入ってくる。バタバタと騒がしいのを見に来たりーちゃんを見て、私はこの子達を守らなきゃいけない、まずいまずはここから離さないと気付いた。
「りーちゃん、警察呼んで。早く!」
りーちゃんは様子におどろきながら、
「あっえ、分かった!」
と部屋を後にした。大男はりーちゃんを見るなり
「かわいいなぁ、かわいい、ねぇ、お話しよう。」
と興奮しだした。動きも激しくなり顔も紅潮している。りーちゃんは10歳そこらだったので、それに興奮してるという事は.......ロリコンか。益々やばいな。と事の重さを再確認した私はより強く窓を押さえつけ、その変質者を動けないようにしていた。
夢はここで終わった。
寝る前に母と弟の話や5月飾りの話をしていたので弟が出るのは分かるが、それ以外はどこから来たのか極めて謎だった。
住まい
新しい住まいに着いた。今日から一人暮らしである。
バイトの応募のために書いた履歴書は書き慣れずに持っていた紙全てを書き損じてしまった。慣れていないとはいえ、不注意であったと痛感する。そもそも日付が変わるギリギリまで梱包していた人間は事前に準備など到底無理な話で、履歴書などは過去の経歴を調べるなど事前準備の最たる物であってそんなこと上手くいくわけが無いのだ。
しかし私は現代っ子である。
今どきネット検索すればなんとでもなる事は心得ているのだ。実際あった。コンビニで印刷できるそうだ。なんとも便利な時代になった。大して生きていないが。
今日の東京は寒い。薄着すぎて震えながら部屋の片隅でキーボードを叩いている。持ち運べるノートパソコンをくれた親友には感謝しかない。ありがとう。
発露
しんどい日々が続いている。
下書きを見るになにか嬉しかった事を書こうとしていた形跡があったが、それも霞む程の事が続いている。私が何よりも嫌うものだ。続く事、どちらかと言うと終わりがないものが嫌いなのかもしれない。私は一刻も早く終わりたいのだ。早くこの舞台から下ろして欲しい。そんなことばかりを考えている。
友人だと思っていた人間に裏切られた。
以前から私を嫌って変な噂を言いふらしたり、私が交流している人間に私の悪評を吹き込んだり、はたまた露骨に無視や舌打ちなどしてくる幼稚な輩がいたのだがそいつに感化されたようだった。元よりこのような性格の私とはそこまで反りが合うわけではなく、互いに違う感性を持った友人だと考えていたのだがそう思っていたのは私だけであったみたいだ。
少人数で行われた飲み会があったらしく、その日は別のところで食事をしていた私は知らなかったがその内容を教えてくれた人がいて、そこでは私の愚痴で非常に盛り上がっていた様子だった。音声で聞いたので間違いはない。
只々虚しかった。悪意に晒されることは人よりか多く経験してきた自負はあるが、それでも堪えるものはある。この感情を自分でどう処理していいかわからなかった。これは1週間ほど前の話であるが、ずっと蟠りを抱えたまま腐らせて大きくしてしまっている。何をしていても頭を過るのだ。どんな事をやっても「ああいうことを言われる私なぞがやった所で」と思ってしまう。過去に私は私が嫌う余り殺そうとしたが、あと少しで止められた。なんだかあの瞬間の気持ちに非常に近いものを感じている。終わりたい。
なぜ生きているのか。酷く壮大に聞こえるがそんな事は無い。要は自分の存在意義を常に己に問うているだけなのだから。この世は兎角行きづらい、まして私なんかは皆のやる当たり前が出来ない。それはもう面白いくらいにできない。そもそも自分の感情が分からない人間に相手の感情を汲み取れというのが無理なのだといつも考えている。私のしている事は常に知識と経験から考えられる総合的な予測に他ならない。感覚的にわかった事はない。
人として必要とされる重要な物を幾つも落として生まれてしまったのだろう。時折、自分の綴る感情や考えている事が本当に自分の感情なのか分からなくなる。楽しい、と感じているはずの場面でも頭の片隅で死ぬ事ばかり考えている。ココ最近は首でも括ろうかと考える始末である。私はこの世に向いていない。この生き地獄から解放して欲しい。そういう考えで頭は充たされている。
私を活かしているのは生まれてしまった負い目と他者に迷惑をかけたくない気持ち、そして、過去に泣いてまで私が終わらせようとした事を繋ぎ止めた親友への懺悔である。あの日から、私は生まれ変わったと思っていた。そんな気がしていた。
そんなことは無かった。私は私のままだった。醜い嫌われ者のままだった。出る涙もない。重苦しい思考だけが澱みになって一向に抜けることは無い。
少しわかったことがあった。
期待してはいけないという事だ。私は、友人ができると思い上がっていただけだった。元から相手はそんなこと思ってなかったのだろう。私を嘲る言葉が耳を離れない。楽しそうだった。死にたかった。
嫌われる事で誰かが幸せになるならそれでもいいやと思う。1人はいい。傷つかない。傷つく事にも触れることは無い。私が消えることで喜ぶ人がいるのならぜひ消えたい。消えたあとの反応まで見てみたい。私とはなんだったのだろう。
こんな時いつも思い出すのは小学三年生のある日だ。私はお風呂でタオルを使って首を吊ろうとしていた。タオルは解けた。子供の腕力ではうまく縛れず、走馬灯の最中私の体は冷たい風呂場の床に落ちた。「死とは難しいものだ」と実感した最初だった。
話が逸れてしまった。良くないくせだ。
人を信用するのは難しい。未だ私は出来ずにいる。
契約書
契約書を書く、というのは大人になれば付いて回る出来事であるが此度は心持ちとしても今までにない機会であった。新しい生活へ動き出しているんだなという実感が足元から沸々と湧いてくるような何ともこそばゆい気持ちだ。
一重に明るい希望だけではないのもこの年齢や今の自分の立ち位置を物語る様で、自由という足枷が如何に重たいかを改めて噛み締めながら自分の名前といずれ離れる生家の住所を書いた。
幸運な事に文字列を読む事が好きな性分の為、注意事項や契約に関する条約を読んでいくのは苦ではない。しかし一々解釈をして止まってしまうが故になかなか読み進めることが難しい。契約書というのは案外面白いことが書いてあったりもするのだ。因みに、石油ストーブは使えないようで違う暖房器具を考えなければならない。
考えるべき事が沢山あるというのは非常に疲れるが、同時に楽しくもある。人間というのは少し苦痛や限界であった方が良いパフォーマンスを期待できる事は有名だが日常においても、それは反映されているのであろうかとtodoリストが山のように積み上がったリマインドを見て考えている。
面倒事を後回しにしてしまう悪癖があるので、自立の為にも自己管理の徹底をしなければならないな、と思う。思う分には良いのだ、ただ、それが実行できるかにムラがある事が大きな問題であって、中々これが改善できない。今朝方も、どうにか間に合ったが4つあったやるべき事をギリギリまで手をつけず慌てて前日からやり出したという有様で、我ながらこんな状態では一人でやっていけるのだろうかと不安になる。なにせ誰も助けてくれないのだから、自分を甘やかしたツケがダイレクトに自分に跳ね返ってくる。
過去に東京で暮らしていた知人が、「実家の有難みは一人暮らし1ヶ月で痛い程感じるよ。」と言っていたが、私は既に実家の有難みをしゃぶり尽くして不安が骨を出している。本当に大丈夫か.......?と思考を廻らす日々である。
そして割印は難しい。こういう所に経験値というのが表れるのだろうなと思う。
東京
突然だが、東京へ行く事になった。
自分としても驚きが隠せない。何ならブログを開設してから殆ど書いていない程度には此処を忘れていた。書いてこそいないが、日々様々な変化が私を苛み翻弄している。非常に精神が追い詰められたこともあれば、ささやかな幸運を知人と分け合ったこともあった。
前置きはここまでにしよう。
私は地方で生まれ育ち、東京などという場所は憧れこそすれ行く事は叶わないと思っていた。
夢はいくつもあった。昔から私は夢見がちな人間であったから、何かにつけて叶わない妄想を頭の中で広げては現実との差に絶望し諦めていた。
2年前の秋に私は大きな決断をした。とても私一人ではできない決断だったが、親友に助けてもらい今まででは考えられないような一歩を踏み出した。今でもあの恐怖と驚きを思い出す。その時に立ちはだかったのは親という絶対的権力だった。
私にとって、母は神で父は処刑人だった。全ての権力を母が握り、その鶴声で全てが決められる。父に対する記憶は恐怖で固まっていた。具体性に欠く言葉は好きではないが、私は両親から愛というものを真っ直ぐ受け取ってこれなかった。その2人が私の事を考えてくれる訳が無いといつも思っていた。私の人生の大半は親が望んだ道を選んだに過ぎなかった。
私は今学んでいる事を、より実現する可能性が高い場所で挑戦してみたいと以前から思っていた。もっと早くに決断していればまた変わったかもしれないが、今年が最後のチャンスだと私は何となく感じていた。本当は進路を大きく変えた時に1度東京行きを打診していたのだが敢え無く却下され今に至る。
私はこの最後のチャンスを逃したくはなかった。
思い切って母に打ち明けたのは三日前の夜だった。私が夜勤をやっている関係で両親とまともに話をする時間がこの1年少なく、それ故に関係性も良好(過去に比べであるが)であった。今を逃したら書類の兼ね合いもあって東京には一生行けないかもしれない。掴めるチャンスがある夢をまた逃すかもしれない。そう思い話をした。
「東京に行くのはもう決まりなの?」
「はい」
「ふーんそう.......」
「今のうちに部屋を探しておかないと、借りれないかもしれないので今週末にでも東京へ内覧へ行こうと思っています。」
「そうだね、あたしも行く」
意外な程に否定されず、拍子抜けだった。決死の心持ちで話したのに案外あっさり事が進みあっという間に東京へ向かう夜行バスに乗ってしまった。
そして、良くも悪くも私への興味を程よく無くしてくれた事に気付いた。とても嬉しかった。同時に何故今更、という気持ちがあった。
今私が目指している夢は、過去に中学生の時と高校生の時に強く打診したことがあった。その時は絶対認めない、何がなんでも許さないと理由も説明されず一方的に親がこの仕事にしろといった進路へ向かった。何度も取り寄せ熱心に説得したパンフレットが翌朝ゴミ箱へ突っ込まれ、「寝たら馬鹿な考えは少しは改まったか」と言われた時を思い出した。あの時、今のように許してくれたら、否定せずにいてくれたらと考えずに居られない。若い方が遥かに有利な世界だからだ。
遅れをとってしまったが、新しい選択に未練はない。何もかもが新しく全て1人で賄わなければならない。1人でいる方が気楽な自分にとって幾許かは自由になれるだろう。親友や数少ない友人と離れてしまうことは心許ないが、それも含めて独り立ちすべきタイミングなのだと感じる。私自身、親が頼れる様な関係でなかったことから親友に何事に関しても依存しやすい傾向があり度々時勢を心がけていたが、物理的距離ができればそう易々と頼りすぎること無く関われるのではないかと思っている。酒が飲める年齢を少し越す程度には生きてきたものの、未だに人との関わり方が分からず四苦八苦している。普通がわからないし、私自身の拘りが強すぎて迷惑をかけてしまうことが多い。実は現在進行形で人間関係でゴチャついていたりするが、これはまぁいずれ解決するであろうと考えている。何せ私が引っ越せばその人との関わりも自然と消える。
サポートしてくれる人がいない環境でまた一段と精神的に強くなれたら良いなと夜行バスの暗闇の中、漠然と思う。
それにしても、血族であれども身体的接触に拒否反応が出るのだなとしみじみ思っている。隣に座る母が私のエリアを省みることなく好き放題肘置きを使い、腕を広げている為に私はリクライニングを起こして1人前傾姿勢でこれを書いている。
何故人の邪魔になっているのに気にせずそのままにできるのか私には理解しかねる。当人に言ってもイヤミを言われ改善して貰えないことが目に見えているのでここで書き捨てているのもまた、私の肝の小ささを表しているなと自分ながら思っている。
はじめまして
どうも、いどどの了一と言います。
正直書きたい事と言えば今のところは親知らずを抜いた話位なんですが、一先ず試し打ちにこの文章を書き連ねています。要は中身のない文章といった具合です。
日頃、他人の目に触れる場での作文と言えば、小さなコミュニティ内でのTwitterで日常を垂れ流すだけなので、ブログを通して何か得られる物があればいいなぁと思います。
というのが表向きの初心表明。こんな小奇麗な文なんて現実で繋がってる連中しかいないとこに書いときゃいいんだよ。
本題に入ろう。
私は人間が嫌いだ。まして表向きの人間関係の為に貴重な金を費やし、楽しくも無い事を「皆がやってるから……」と流されるまま参加したり、自分で考える事を放棄し、集団に属する事を常に最優先するなんて考えられない。そこに私のメリットはない。
しかし現実はそうはいかない。何故なら、人間は社会的動物だからだ。
突然だが、アリストテレスは著作中で人間の定義を『ポリス的動物である』と述べたのをご存じだろうか。その意味とは、
”人間というのは、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る、という(他の動物には見られない)独特の自然本性を有する動物である”(Wikipediaより)
だそうだ。イマイチ分かりにくいので色々調べてみたが、要約し現代に置換すると
”人は、良い事をするという同じ目的を持つ同士で集まり、大きな集団で良い事を成すのが目標という独自の本能を持つ動物”
となった。多分これが一番分かり易いです。ポリスは国家とかに訳せるけど、それだと別の意味合いも含んでしまうので一つの大きな集団って考えるのが望ましいかと。
本来であればアリストテレスの言うように、人間はこの本能に則って生活する事が一番本能に基づいた「適切」なのであろう。少なくとも紀元前300年の時代にこのオッサンはそう思ったわけだ。
時は令和元年、オッサンが本を書いてから約2230年。
関係ないけどこのPCは「令和」を一発で変換できず、元号を跨いだ事への実感を突然感じてしまった。
この長い年月の中でオッサンの言葉は段々と違う意味合いを帯びていき、やがて前後の文を鑑みない人間や社会背景を考えない人間、誰が生み出した言葉なのかも分かっていない人間によって様々な誤解が生まれた。
人間の定義を
”社会生活を営む一個の社会的存在”
”社会を形成する動物”
と浅いもので終わらせてしまい、挙句には
「アリストテレスが”社会的動物”と人間を定義した」
と独自の解釈をするものまで現れた。
ちょっと考えれば社会を形成する生物なんてのは割とゴロゴロいる事に気付くだろうし、そもそも社会って言葉自体の持つ意味が多いし規模がでかいしで定義しきれていないのはここまで読んだ人なら分かるだろう。
ここまでの冗長的な説明や解説は知らなくても「社会的動物」という単語自体は知ってる人間は少なからずいるのではないだろうか。かくなる私もその一人だ。出会いは小学生の頃、何かの本で読んだのだ。今となっては本の内容もタイトルも思い出せないが一つの言葉として私の記憶に残っていた。
当時の私は気付く由もないが、今考えるとその本は確かにその言葉を間違って使っていた。いや、恐らくは
「その言葉の成り立ちと意味を正確に知る事無く使ってしまった」
というのが正しい表現だろう。そして覚えている限りの本の内容はこうだ。
アリストテレスはいいました。人間は社会的動物だから家族、友人、恋人などいろんな社会を作って協力して暮らしている唯一の動物です。だから、仲間たちを大事にして相手を思いやりましょう。
……皮肉だ。なんて長いスパンで人間を皮肉に捉えた言葉だろうか。
諸君はそう思わないか?
1人の哲学者のオッサンが考えに考え抜いて言った言葉が、何も考えない人間によって全く違う意味へと作り変えられた上に造語までできて、その発信源だと勝手に名義を使われているのだ。本当に伝えたい事はなりを潜め、都合のいい解釈が今も世間を飛び交う。当時のオッサンの気も知れないで。
決してアリストテレスは団結や協力の美徳を説きたかった訳じゃないと私は思った。というか、調べれば調べるほどそう感じた。なんとなく、アリストテレスには愛着と、わずかな憐憫の念が湧いた。
しかし、「人間は社会的動物である」というのもあながち間違ってないと同時に気付いたのだ。
何、「社会的動物」という言葉が表しているのではない。過去の偉人を蔑ろにした浅はかな解釈が表すのでもない。勿論、団結でも協力でもない。
社会的動物という言葉が生まれてしまった過程こそが「人間」という生物が成す「社会」を的確に表現していると、私は思う。そしてこの事実こそが人間に対するどデカい皮肉なのだと。しかも今の今まで続いている壮大なもんだ。
この社会こそ、この社会を作り出す人間こそ私が嫌いな「人間」である。
これを適切に伝える為だけにアリストテレスの話をしたのだ。ありがとなオッサン。
さぁ、私の本当の初心表明をしようではないか。
私は、私の嫌う「社会的動物」に負けない様に、自分を貫くための武器を作る。
これこそが真の目的だ。
私の人間関係は凄い、吃驚するほどに崩壊している。それはもうイザコザの起こらなかった関係なんてものは一つもない程だ。序でに自分自身も何度か崩壊している。
しかし私も馬鹿ではない。知恵はなくとも考える事は出来るのだ。幼少期からの経験や行動、周囲の人間の性格や心理を分析するうちに自分は決定的に協調性が欠如している事が分かった。
研究と共に私はやがて成長し、学び舎を巣立って大人社会へと身を投じ、成人をした。今ではそれすらも懐かしい。だが、どこへ行っても社会、いわばコミュニティというものはつきものだ。決定的に違うのは学生の時の様に簡単には修正できない事だろう。
10代の柔軟な発想(といってもガチガチの固定観念で物を話す輩は昔から一定数いるが)を失った大人の社会的駆け引きのえげつなさは一線を画す。私としても、いつまでも捨て身タックルだけで勝負はできないのだ。反動でやがて瀕死になってしまうだろう。
そんな私が死なないための防具や武器を作る為の場所が、ここという訳だ。
思考の整理をしたり、自分の考えをまとめておくための場所であり、対他人の対応や観察・研究・考察をするための場所。日記でありラボだ。なんかいい響きだな。
長くなったがこれが概要だ。私の文を最後まで読めるか否かが、このブログの一つの踏み絵となっている。書いていて読みにくい文章を作っている自覚はあるのだが、如何せん脳内をそのまま書き出すとこうなってしまうもので。申し訳ない。半分くらいで読むの止めた人は携帯小説読むのが向いてるんじゃない?人間好きなもん読むのが一番だよ。
因みにサブミッションとして、自分に嘘をつかないというものもある。
日常を生きる上で話を合わせたり、空気を読まないといけなかったりで自分に嘘をつく場面が多々ある。非っっっっっ常に不服である。
非常に、不服で、ある。やってられっかと何度頭の中で毒づいた事か。
ここは私の庭だ。私の思考を放牧するためにあるんだからどんな事も自分の好きに言わせろ、ま、そういうこと。正確なデータこそがより確実な成果へとつながると私は信じている。
全てが手探りだがなんだかこれも新鮮で楽しい。楽しく生きようぜ、自分。
其の為の備忘録だ。