レポート:了一ラボ

自分の為の備忘録

東京

突然だが、東京へ行く事になった。

 

自分としても驚きが隠せない。何ならブログを開設してから殆ど書いていない程度には此処を忘れていた。書いてこそいないが、日々様々な変化が私を苛み翻弄している。非常に精神が追い詰められたこともあれば、ささやかな幸運を知人と分け合ったこともあった。

 

前置きはここまでにしよう。

 

私は地方で生まれ育ち、東京などという場所は憧れこそすれ行く事は叶わないと思っていた。

夢はいくつもあった。昔から私は夢見がちな人間であったから、何かにつけて叶わない妄想を頭の中で広げては現実との差に絶望し諦めていた。

 

2年前の秋に私は大きな決断をした。とても私一人ではできない決断だったが、親友に助けてもらい今まででは考えられないような一歩を踏み出した。今でもあの恐怖と驚きを思い出す。その時に立ちはだかったのは親という絶対的権力だった。

私にとって、母は神で父は処刑人だった。全ての権力を母が握り、その鶴声で全てが決められる。父に対する記憶は恐怖で固まっていた。具体性に欠く言葉は好きではないが、私は両親から愛というものを真っ直ぐ受け取ってこれなかった。その2人が私の事を考えてくれる訳が無いといつも思っていた。私の人生の大半は親が望んだ道を選んだに過ぎなかった。

 

私は今学んでいる事を、より実現する可能性が高い場所で挑戦してみたいと以前から思っていた。もっと早くに決断していればまた変わったかもしれないが、今年が最後のチャンスだと私は何となく感じていた。本当は進路を大きく変えた時に1度東京行きを打診していたのだが敢え無く却下され今に至る。

私はこの最後のチャンスを逃したくはなかった。

思い切って母に打ち明けたのは三日前の夜だった。私が夜勤をやっている関係で両親とまともに話をする時間がこの1年少なく、それ故に関係性も良好(過去に比べであるが)であった。今を逃したら書類の兼ね合いもあって東京には一生行けないかもしれない。掴めるチャンスがある夢をまた逃すかもしれない。そう思い話をした。

 

「東京に行くのはもう決まりなの?」

「はい」

「ふーんそう.......」

「今のうちに部屋を探しておかないと、借りれないかもしれないので今週末にでも東京へ内覧へ行こうと思っています。」

「そうだね、あたしも行く」

 

意外な程に否定されず、拍子抜けだった。決死の心持ちで話したのに案外あっさり事が進みあっという間に東京へ向かう夜行バスに乗ってしまった。

そして、良くも悪くも私への興味を程よく無くしてくれた事に気付いた。とても嬉しかった。同時に何故今更、という気持ちがあった。

今私が目指している夢は、過去に中学生の時と高校生の時に強く打診したことがあった。その時は絶対認めない、何がなんでも許さないと理由も説明されず一方的に親がこの仕事にしろといった進路へ向かった。何度も取り寄せ熱心に説得したパンフレットが翌朝ゴミ箱へ突っ込まれ、「寝たら馬鹿な考えは少しは改まったか」と言われた時を思い出した。あの時、今のように許してくれたら、否定せずにいてくれたらと考えずに居られない。若い方が遥かに有利な世界だからだ。

 

遅れをとってしまったが、新しい選択に未練はない。何もかもが新しく全て1人で賄わなければならない。1人でいる方が気楽な自分にとって幾許かは自由になれるだろう。親友や数少ない友人と離れてしまうことは心許ないが、それも含めて独り立ちすべきタイミングなのだと感じる。私自身、親が頼れる様な関係でなかったことから親友に何事に関しても依存しやすい傾向があり度々時勢を心がけていたが、物理的距離ができればそう易々と頼りすぎること無く関われるのではないかと思っている。酒が飲める年齢を少し越す程度には生きてきたものの、未だに人との関わり方が分からず四苦八苦している。普通がわからないし、私自身の拘りが強すぎて迷惑をかけてしまうことが多い。実は現在進行形で人間関係でゴチャついていたりするが、これはまぁいずれ解決するであろうと考えている。何せ私が引っ越せばその人との関わりも自然と消える。

 

サポートしてくれる人がいない環境でまた一段と精神的に強くなれたら良いなと夜行バスの暗闇の中、漠然と思う。

 

それにしても、血族であれども身体的接触に拒否反応が出るのだなとしみじみ思っている。隣に座る母が私のエリアを省みることなく好き放題肘置きを使い、腕を広げている為に私はリクライニングを起こして1人前傾姿勢でこれを書いている。

何故人の邪魔になっているのに気にせずそのままにできるのか私には理解しかねる。当人に言ってもイヤミを言われ改善して貰えないことが目に見えているのでここで書き捨てているのもまた、私の肝の小ささを表しているなと自分ながら思っている。