レポート:了一ラボ

自分の為の備忘録

発露

しんどい日々が続いている。

下書きを見るになにか嬉しかった事を書こうとしていた形跡があったが、それも霞む程の事が続いている。私が何よりも嫌うものだ。続く事、どちらかと言うと終わりがないものが嫌いなのかもしれない。私は一刻も早く終わりたいのだ。早くこの舞台から下ろして欲しい。そんなことばかりを考えている。

 

友人だと思っていた人間に裏切られた。

以前から私を嫌って変な噂を言いふらしたり、私が交流している人間に私の悪評を吹き込んだり、はたまた露骨に無視や舌打ちなどしてくる幼稚な輩がいたのだがそいつに感化されたようだった。元よりこのような性格の私とはそこまで反りが合うわけではなく、互いに違う感性を持った友人だと考えていたのだがそう思っていたのは私だけであったみたいだ。

少人数で行われた飲み会があったらしく、その日は別のところで食事をしていた私は知らなかったがその内容を教えてくれた人がいて、そこでは私の愚痴で非常に盛り上がっていた様子だった。音声で聞いたので間違いはない。

只々虚しかった。悪意に晒されることは人よりか多く経験してきた自負はあるが、それでも堪えるものはある。この感情を自分でどう処理していいかわからなかった。これは1週間ほど前の話であるが、ずっと蟠りを抱えたまま腐らせて大きくしてしまっている。何をしていても頭を過るのだ。どんな事をやっても「ああいうことを言われる私なぞがやった所で」と思ってしまう。過去に私は私が嫌う余り殺そうとしたが、あと少しで止められた。なんだかあの瞬間の気持ちに非常に近いものを感じている。終わりたい。

 

なぜ生きているのか。酷く壮大に聞こえるがそんな事は無い。要は自分の存在意義を常に己に問うているだけなのだから。この世は兎角行きづらい、まして私なんかは皆のやる当たり前が出来ない。それはもう面白いくらいにできない。そもそも自分の感情が分からない人間に相手の感情を汲み取れというのが無理なのだといつも考えている。私のしている事は常に知識と経験から考えられる総合的な予測に他ならない。感覚的にわかった事はない。

人として必要とされる重要な物を幾つも落として生まれてしまったのだろう。時折、自分の綴る感情や考えている事が本当に自分の感情なのか分からなくなる。楽しい、と感じているはずの場面でも頭の片隅で死ぬ事ばかり考えている。ココ最近は首でも括ろうかと考える始末である。私はこの世に向いていない。この生き地獄から解放して欲しい。そういう考えで頭は充たされている。

 

私を活かしているのは生まれてしまった負い目と他者に迷惑をかけたくない気持ち、そして、過去に泣いてまで私が終わらせようとした事を繋ぎ止めた親友への懺悔である。あの日から、私は生まれ変わったと思っていた。そんな気がしていた。

 

そんなことは無かった。私は私のままだった。醜い嫌われ者のままだった。出る涙もない。重苦しい思考だけが澱みになって一向に抜けることは無い。

 

 

 

 

少しわかったことがあった。

期待してはいけないという事だ。私は、友人ができると思い上がっていただけだった。元から相手はそんなこと思ってなかったのだろう。私を嘲る言葉が耳を離れない。楽しそうだった。死にたかった。

嫌われる事で誰かが幸せになるならそれでもいいやと思う。1人はいい。傷つかない。傷つく事にも触れることは無い。私が消えることで喜ぶ人がいるのならぜひ消えたい。消えたあとの反応まで見てみたい。私とはなんだったのだろう。

 

こんな時いつも思い出すのは小学三年生のある日だ。私はお風呂でタオルを使って首を吊ろうとしていた。タオルは解けた。子供の腕力ではうまく縛れず、走馬灯の最中私の体は冷たい風呂場の床に落ちた。「死とは難しいものだ」と実感した最初だった。

 

話が逸れてしまった。良くないくせだ。

人を信用するのは難しい。未だ私は出来ずにいる。